三河湾百キロウォークが数日後に迫りました。
「ゴールを目指すな」 「早めのリタイアを」
など、エール?も届いています。 中川希望塾卒塾生による応援団も結成されました。 ホームドクターの健康診断も受けました。
新たな挑戦に胸躍らせています。 当日も「患者相談窓口」は休みません。 携帯は繋がります。
☆有田美智世☆
命の火は簡単には消えない。
私達は退院後の感染症予防支援を行っています。 肺にカビが生えるカリニ肺炎の院内感染発覚現場に居合わせた事で、6月末から8月末までの約2ヶ月をICU待合いで生活し、その一部始終を見ておりました。
講演や勉強会では、この進展等も話しながら、支援活動に自信を深めています。
容態の思わしくない相談を受けていました。 「セカンドオピニオンも主治医と同じでした」と報告がありました。
患者さんは70才台の父。相談者は40才台の娘です。 患者さんは状況を受け入れ落ち着いています。
娘は望みを捨てきれず親不孝だったと泣きます。 夜中の長い電話でした。寄り添っていきます。
非公式な面談でしたが辻副大臣には1時間15分時間を頂きました。
9月17日に話し合いをした官僚さんも着任間もない方でしたが、 二人とも理解の吸収が早く感じられ、久々に期待感を持って見て行こうと思います。 バンク関係者、医療関係者など、これまでの実績に感謝です。
公式訪問の約束を頂きました。
私は、当時の小泉厚労大臣に正式訪問を2回致しました。 最初は公的骨髄バンク設立の2年前。 2度目は公的さい帯血バンク設立の2年前です。
白血病治療にとって、国の助けを必要とする状況が起こる度に、その時々の大臣を訪問しました。 ほぼ良い結果を頂きました。
今夕、辻厚労副大臣の面談を頂きます。
数年前、「有田さんに全てお任せします」と、 私の右手中指程の厚いカルテの写しを遺族の方に手渡されました。
それは、3才2ヶ月11日目に亡くなった男の子の、 2年11か月21日間に及ぶ闘病の記録です。
このカルテの背景にあるご遺族の思いを含め、私は自分の事と受け止め、 日々の支援活動の糧としています。
昨夜の熊本の地震、中川希望塾生からの情報によると「みんな大丈夫!」。 安心しました。
今は東京から移住して阿蘇に住んでいるAさんご一家「みんな元気です」。 ご主人の明るい声が返ってきました。
数年前、白血病の奥様の転院をお世話しました。 4月にいただいた一家3人の記念写真。幸せ一杯でした。
福島の母親の件は、移住地の女性市会議員と連絡を取り合いながら、白血病の子の方は私がサポートしていきます。
十月は行事や会議の多い月です。 新幹線の移動や会議のはしごで携帯がつながりにくくご迷惑をお掛けしています。
昨夕思いがけなく、医療担当の厚生労働省副大臣に面談の連絡をいただきました。
再発した急性リンパ性白血病の子を連れて福島から関西へ避難している母親から相談がありました。 原発からの避難でした。
病院選びは問題ないと思います。 心配なのは母親の方です。 心も身体もズタズタのはずです。
朝になったらこの母親のサポートの手配をしたいと思います。 今夜はたぶん眠れない。。。
患者相談窓口から移植へつながり元気になられた患者さんに、思いがけない所で声を掛けられ、 社会復帰のご報告を受ける事がよくあります。
昨日は、神戸ツーデイウオークの会場で、3年程前に大阪府立成人病センターへご紹介した方に出会いました。 面識は無い筈なのにどうして私だと気づいたのでしょう。