「私はここまでしか出来ないが他の病院へ行けば希望がある」
そう言える医師は素晴らしいと思います。
私達はそういう医師が名医だと思います。
患者の命を第一とすれば、メンツやプライドなど小さかったと思う日が必ず来るでしょう。
転院して、救命に繋がった患者は大勢います。
私達も、情報提供者の一つです。
☆有田美智世☆
日本ブログ村に参加しています!日本さい帯血バンクネットワーク会長
中林 正雄
1999年に日本さい帯血バンクネットワークが発足して以来、今年で12年が経過しました。
この間に、白血病などの血液の難病に対する高度医療であるさい帯血移植治療が飛躍的に進歩しました。
日本さい帯血バンクネットワークに加入している全国9か所のさい帯血バンクには、全国の約100か所の産科施設から分娩時に得られるさい帯血が集められ、現在33,000個のさい帯血がいつでも移植可能な状態で凍結保存されています。
この保存されたさい帯血を使用したさい帯血移植数は、これまでに7,000例以上となりました。
開始した当初は試験的医療として年間100件程度が行われていましたが、最近ではさい帯血移植の効果が認められて年々増加し、昨年は年間1,018件ものさい帯血移植が行われました。
この移植件数は同じ目的で行われている骨髄移植とほぼ同数ですので、現在では、さい帯血移植は白血病に対する標準的治療として社会に認められたといえましょう。
これは、さい帯血移植のスタート時からその進歩と普及に努力された関係者の大変な努力のたまものであり、さい帯バンク支援ボランティアの皆様に心から感謝申し上げます。
さい帯血移植や骨髄移植などの造血幹細胞移植は、高齢化が進む日本においては今後一層社会的役割が増大すると考えられます。
しかし、これまでのさい帯血バンクは運営資金に乏しく、多くは国の補助金とさい帯血バンク経営母体の負担に依存しています。
今後は、より高品質のさい帯血を安定的に継続して供給するためには、この事業を国家事業として認めていただき、診療報酬で適正な価格を定めていく必要があります。
そのためには患者さんを支援しようとする皆様の強いお気持ちが大切です。
私は恩賜財団母子愛育会愛育病院の院長をしている産婦人科医ですが、産婦人科医の世界では社会的使命の1つとして「おぎゃあ献金」募金があります。
これは無事出産されたお母様が、病気を持った妊婦さんや胎児・新生児の命を救うための募金として、全国の産科施設へ寄付していただいた浄財が、研究施設などへ配分されるシステムです。
この「おぎゃあ献金」は長い歴史を有していて、日本人の互助精神をとても良く示した誇るべきシステムです。
このシステムの趣旨と良く似た運動が、有田美智世理事長の強いリーダーシップによって、NPO法人さい帯血国際患者支援の会によって実行され、目覚しい活動をしていることは大変うれしいことであり、また心強いことです。
このような皆様方からの強いご支援があれば、国民の命を救うために、日本の政治、そして行政にかかわる方々に、さい帯血バンク事業をはじめとする、造血幹細胞移植事業の重要性を認識してもらい、さらなるサポートをいただくことは可能であろうと信じております。
NPO法人さい帯血国際患者支援の会のますますのご発展と、会員の皆様のご多幸を祈念しております。
日本ブログ村に参加しています!日本さい帯血バンクネットワークと骨髄移植推進財団を介する非血縁者間造血幹細胞移植療法は、造血幹細胞移植を必要とする難治な病気の方たちに、治癒と良好な社会復帰の生活をもたらす治療法として普及しており、難病の方々の希望の星となっています。
今、非血縁者間の造血幹細胞移植は、骨髄移植・さい帯血移植を合わせると年間2,000例を超えるまでになっていますが、それでも尚全体の50%ぐらいしか需要を満たしていないというのが現状です。
こうしたよい治療を残りの50%の患者さんに届けるには、なお一層いろんな面での努力が必要であり、その一つとして、骨髄バンク、さい帯血バンク協同でやれるところは協同でやり、より多くの患者さんにより速やかに移植医療を提供できる仕組みを作ろうということを造血細胞移植学会として考え始めています。
今年度からの学会の大きな課題の一つとして、例えば日本造血幹細胞バンクといったようなものを、今までの両組織の蓄積をベースにして発展的に統合させることにより構築する、ということを学会として検討し、厚生労働省その他関連機関に提言していきたいと考えています。
こうしたものが必要だと行政に知らしめる最大のパワーは、みなさま方の声であります。
みなさま方のパワーが近いうちに、きわめて必要とされる時が来ると思います。
又、みなさま方の今日の会において示されたような支援というのは、病める方々にとっては、本当に励ましになります。
ほんのちょっとした心遣い、きめ細かい配慮というのは、我々では想像ができないほど患者さんを慰め、励まします。
そういったことを実践しているさい帯血国際患者支援の会に、心から敬意を表します。
今後ともみなさま方でぜひこの会を支え広げて、私たちと一緒に、明日の医療をよりよいものにするようともに努力を続けて行きましょう。
Bさん(関西)
2007年2月、突然主人が急性リンパ性白血病を発症。
染色体異常があり、移植しか道が無く、抗がん剤治療をしながらドナーを探す日々が始まりました。
近親者にはいず、骨髄バンクは時間がかかる上に、移植直前にドナーさんから断られる事もあり得ます。
頭を抱える中、奇跡に近いご縁で有田さんの相談窓口に辿り着きました。
有田さんは、見知らぬ私の相談に、連日身内以上に親身になっのって下さり、臍帯血の可能性を教えて下さいました。
しかし、当初入院していた病院は臍帯血移植を余り推奨されておらず、
有田さんのお力添えで、臍帯血移植の成績がいいA病院をご紹介いただき転院しました。
しかし、主人は細身ながら178cmあり、1つの臍帯血では細胞数不足で移植の成功が見込めず、
悩んだ結果、当時臨床段階だった複数臍帯血移植をする事にしました。
当時、主人で確か国内15例目位でした。
確かに大きな不安がありましたが、移植にはタイミングも重要です。
骨髄バンクの場合、コーディネイトにかかる3~4カ月の間、抗がん剤治療を繰り返す事になります。
当然ながら、その分体力は消耗、内臓や体にかかる負担も大きく、移植後の経過にも影響します。
寛解に入り地固めできたベストタイミングで、なるべく早期に移植をする事を重要と判断し、
複数臍帯血移植に踏み切りました。
結果、見事に大成功。
移植後の経過もよく、移植から約3カ月半で退院しました。
退院後は有田さんのご配慮で自宅にクリーンパーテーションを設置していただき、
カビや季節性ウイルス等の感染もなく、過ごす事ができました。
現在、移植から4年半が経過。今では一切投薬もなく職場にも復帰し、お酒も病気以前同様に飲みます。
あの時、複数臍帯血移植ができなかったら、今の元気な主人はないかもしれません。
全ての道を開いて下さった有田さん。
又、万全の大勢で複数臍帯血を実施して下さったA病院の皆さまには、本当に、心から感謝しています。